はじめに:蛇口の水に「基準値」がある
水道水には、飲んで安全な範囲を定めた水質基準がある。フッ化物イオン(F⁻)もそのひとつで、日本の飲料水基準は 0.8 mg/L(WHO ガイドライン 1.5 mg/L)である。適量のフッ素は虫歯を防ぐが、過剰に摂り続けると斑状歯や骨フッ素症の原因となりうる。
ここで少し意外なのは、このフッ素が、工場排水のような人為汚染ではなく “天然に” 基準を超えることがあるという事実である。熊本地域西部の地下水はその一例で、火山岩からなる帯水層の中で、地下水自身が岩石と反応するうちにフッ素を濃集させてしまう。
本記事では、Hossain et al. (2016) の研究に沿って「なぜ天然の地下水でフッ素が増えるのか」を地球化学の言葉で読み解き、その要となる反応を PHREEQC で再現する。#11 で計算した「雨水が方解石を溶かして Ca-HCO₃ 型になる」涵養水が、旅の続きで何を経験するのか——その物語の第2章である。
本記事で扱うのは無機のフッ化物イオン F⁻ である。近年話題の PFAS(有機フッ素化合物)とは化学的にまったく別物であり、発生源も挙動も異なる。PFAS は別の機会に単独で扱う。
#11 からの続き:Ca-HCO₃ 涵養水が旅を続けると
#11 では、雨水が土壌の CO₂ を吸って弱い酸となり、鉱物を溶かして Ca-HCO₃ 型の地下水へ育つ過程を PHREEQC で追った。これは地下水が最初に通る「入口の水」である。
熊本の帯水層は、阿蘇の火砕流堆積物(Aso pyroclastic flow)を主体とする火山性の地層で、透水性が高く地下水が活発に流れる。涵養域で生まれた Ca-HCO₃ 型の水は、流線に沿って流れ下るあいだに、さらに二つの大きな変化を経験する。
- 粘土鉱物との陽イオン交換で、Ca が Na に置き換わっていく。
- 火山岩のケイ酸塩鉱物の風化が進み、pH と HCO₃⁻ が上がっていく。
この二つが重なった先で、フッ素が動きやすい「場」ができあがる。順番に見ていこう。
Hossain et al. (2016) は、この地域の 50 試料の地下水を分析した。フッ素濃度は 0.1–1.57 mg/L に分布し、浅い第1帯水層では 58%、深い第2帯水層でも 26% の試料が基準 0.8 mg/L を超えていた。そして高フッ素の水には、はっきりした共通の”顔つき”があった——Na-HCO₃ 型・高pH(7.05–9.45)・高HCO₃・低Ca・高いNa/Ca比である。しかもそれらは、滞留時間が長い停滞域(地下水年齢 55 年以上)に集中していた。
主役プロセス① — 陽イオン交換で Na-HCO₃ 型へ
高フッ素水の”顔つき”の中心が、低Ca・高Na(高いNa/Ca比)である。これを作るのが陽イオン交換である。
粘土鉱物の表面は負に帯電しており、陽イオンを緩く吸着している。ここに Ca-HCO₃ 型の地下水が触れると、水中の Ca²⁺ が粘土に捕まり、代わりに粘土表面の Na⁺ が水へ放たれる。
\[\mathrm{Ca^{2+} + 2Na\text{-}X \;\rightarrow\; Ca\text{-}X_2 + 2Na^{+}}\]
(X は交換サイト)。この結果、水は Ca を失い Na を得て、Ca-HCO₃ 型 → Na-HCO₃ 型へと変化する。Hossain et al. (2016) では、この進行に伴って Na/Ca 比が 0.4 から 27 まで上昇していた。Schoeller の塩基交換指数(CAI)も、交換が起きていることを裏づけている。
PHREEQC で追う
#11 で作った Ca-HCO₃ 涵養水を出発点に、Na 型の交換体(粘土)と反応させる。交換体の量を振ると、反応がどこまで進むかを段階的に見られる。
SOLUTION 1 Recharge Ca-HCO3 water (≈ #11 calcite-equilibrium water)
temp 20
pH 7.3
units mmol/kgw
Ca 1.4
Alkalinity 2.8 as HCO3
Na 0.3
Cl 0.3
F 0.02
END
USE solution 1
EXCHANGE 1
NaX 0.0010 # 純 Na 交換体。量を 0.0005〜0.0025 mol と振り、進行度を出す
END
計算結果を 図 1 に示す。横軸は交換で除去された Ca²⁺ の量(=反応の進行度)である。
読み取れることは二つある。
- Na/Ca 比が 0.2 から 11 へ上昇する。Ca-HCO₃ 型が Na-HCO₃ 型へ変わっていく(論文の 0.4→27 と同じ挙動で、交換体をさらに増やせば 27 にも届く)。
- pH はほぼ一定(≈ 7.3)。これは重要な点である。純粋な陽イオン交換は水の”型”を変えるが、pH は上げない。では高フッ素水の高pH(7〜9.4)はどこから来るのか——それが次の主役、ケイ酸塩の風化である。
つまり、フッ素の供給源が同じでも、停滞域で交換が進むほど Na/Ca が上がり、Ca が下がる。フッ素が動きやすい場そのものが、水の側で準備されていく。
主役プロセス② — 高pH・高HCO₃ がフッ素を「動員」する
Na-HCO₃ 化と並行して、火山岩のケイ酸塩鉱物(斜長石・輝石・黒雲母など)の風化が進む。この反応は水酸化物イオンを消費し、pH を押し上げ、HCO₃⁻ を供給する。こうして生まれた高pH・高HCO₃・低Caの環境が、フッ素を三つの経路で動かす。
(1) 雲母からのフッ素放出(F–OH 交換)。黒雲母などの層状ケイ酸塩は、結晶構造中の OH の位置にフッ素を含む。高pH(高 OH⁻)環境では、この F が OH と入れ替わって水へ放たれる。
\[\mathrm{Mica\text{-}F_2 + 2OH^- \;\rightarrow\; Mica\text{-}(OH)_2 + 2F^-}\]
(2) 燐灰石(アパタイト)の溶解。フッ素燐灰石 Ca₅(PO₄)₃F は、CO₂ を含む水に溶けてフッ素とリン酸を放つ。
\[\mathrm{Ca_5(PO_4)_3F + 6CO_2 + 6H_2O \;\rightarrow\; 5Ca^{2+} + 3H_2PO_4^- + F^- + 6HCO_3^-}\]
(3) 金属酸化物からのフッ素の脱着。Fe/Al の酸化物・水酸化物の表面に吸着していた F⁻ が、高pH で表面の正電荷が減ること、高HCO₃・高PO₄ が競合陰イオンとして席を奪うこと、高Na/Ca が表面の電荷密度を下げることで、まとめて水へ押し出される。
三つに共通するのは、低Ca・高pH・高HCO₃ という “Na-HCO₃ 化した水” の性質そのものが、フッ素を動かす鍵だということである。つまり ①の陽イオン交換が、②のフッ素動員の舞台を整えている。
上の (3) の脱着は、Hossain et al. (2016) でも定性的な説明にとどまる。PHREEQC の SURFACE(Dzombak–Morel モデル)で原理を実演することは可能だが、比表面積やサイト密度といった現場固有のパラメータが無いため、本記事では数値的な主張はせず、考え方の紹介にとどめる。
鉱物のブレーキ — 蛍石は効くのか?
フッ素がいくらでも増えるなら、水はどこまでも高フッ素になるはずである。しかし現実には頭打ちがある。その”ブレーキ”を握るのが蛍石(ホタル石)CaF₂ である。
\[\mathrm{Ca^{2+} + 2F^- \;\rightleftharpoons\; CaF_2\ (\text{蛍石})}\]
もし水が蛍石に対して過飽和なら、蛍石が析出してフッ素は頭打ちになる。逆に未飽和なら、蛍石は溶けるだけで、フッ素の上限を決めない。ここで効いてくるのが低Caである。Na-HCO₃ 化で Ca が下がっているため、Ca × F² の積が小さく、蛍石は未飽和のまま——つまりブレーキが利かず、フッ素が高濃度まで許される。
飽和指数を PHREEQC で照合する
論文の Table 1 の帯水層平均組成を PHREEQC(WATEQ4F データベース)に入れ、飽和指数(SI)とフッ素の化学種を計算して、論文の公表値と照合する。
SOLUTION 1 Kumamoto 1st (shallow) aquifer average — Hossain et al. 2016, Table 1
temp 19.4; pH 7.83; pe 0.6
units mg/L
Na 95.1; K 5.8; Ca 12.4; Mg 3.9; Cl 101.2
S(6) 19.1 as SO4; N(5) 4.8 as NO3; Alkalinity 157.7 as HCO3
F 0.83; P 7.0 as PO4; Si 48.6 as SiO2
SELECTED_OUTPUT
-saturation_indices Calcite Fluorite Fluorapatite
-molalities F- MgF+ CaF+ NaF
END
結果を 図 2 に示す。
| 鉱物 | PHREEQC(今回) | 論文 | 意味 |
|---|---|---|---|
| 方解石 CaCO₃ | −0.42 | −0.69 / −0.57 | ほぼ平衡近傍(#11 の名残) |
| 蛍石 CaF₂ | −1.81 / −2.01 | −2.19 / −2.26 | 未飽和=フッ素を頭打ちにしない |
| フッ素燐灰石 | +4.82 | +2.42 / +1.77 | 過飽和=供給源として矛盾しない |
(第1帯水層/第2帯水層の順。方解石はほぼ同値)
方解石・蛍石は未飽和で論文とよく一致し、蛍石が未飽和=ブレーキが利かない、という結論を再現できた。フッ素の化学種は F⁻ が全フッ素の 98〜99% を占め、論文の「96–100%」と一致する。フッ素燐灰石は両者とも過飽和で符号は一致するが、絶対値は今回のほうが大きい——これはフッ素燐灰石の log K がデータベースの版で大きく異なるためで、「過飽和である(供給源になりうる)」という結論は変わらない。
蛍石はいつブレーキになるのか
では、蛍石が実際にフッ素を頭打ちにするのはどんな条件か。Na-HCO₃ 化した低Ca の水に、Ca を少しずつ加えていく計算で確かめる。
図 3 が示すのは明快な事実である。現実の高フッ素水がいる低Ca 域では、蛍石は SI ≈ −1.5 と深く未飽和で、フッ素にまったくブレーキをかけない。蛍石が飽和してフッ素を抑え始めるには、Ca を 12 mmol/L(≒ 480 mg/L)近くまで上げる必要があるが、Na-HCO₃ 化した水ではそこまで Ca は上がらない。だからフッ素は溜まり続ける。
\[\mathrm{CaF_2 + 2HCO_3^- \;\rightarrow\; CaCO_3 + 2F^- + H_2O + CO_2}\]
高HCO₃ はむしろ蛍石の溶解(=フッ素放出)を後押しする側にはたらく。
なぜ停滞域に集中するのか
ここまでの反応は、どれも時間がかかる。陽イオン交換も、ケイ酸塩の風化も、フッ素の動員も、地下水が岩石と長く接するほど進む。だから高フッ素の水は、流れの速い涵養域ではなく、水がよどむ停滞域——地下水年齢 55 年以上の、平野部の深い停滞ゾーン——に集中する。
これは #11 で見た「水は履歴を味に刻む」という原則の、極端で具体的な現れである。フッ素濃度は、いわば地下水がどれだけ長く旅をしたかの記録でもある。この「時間」と水質の関係は、後の回(同位体・滞留時間)でさらに掘り下げる。
まとめ
- 熊本の一部の地下水では、人為汚染ではなく天然の水–岩石反応によって、飲料水基準を超えるフッ素が生じる。
- 鍵は二段構えである。①陽イオン交換が Ca-HCO₃ 型を Na-HCO₃・低Ca 型へ変え(ただし pH は上げない)、②ケイ酸塩の風化が高pH・高HCO₃ をつくって、雲母・燐灰石・金属酸化物からフッ素を動員する。
- 低Ca ゆえに蛍石が未飽和のままで、フッ素にブレーキがかからない。
- これらは時間のかかる反応なので、高フッ素水は滞留時間の長い停滞域に集中する。
- そして、この一連の過程は PHREEQC で定量的に追える——SI の照合、交換の反応経路、蛍石の制御。
天然でも基準超えは起こる。しかしそれは無秩序な現象ではなく、データと地球化学で読み解ける必然である。
#11 で触れた”金属臭(鉄)“を入口に、次回は酸化還元(レドックス)が地下水質を支配する世界へ入る。同じ熊本地域で、Hossain et al. (2016, Environmental Earth Sciences) が明らかにしたヒ素の動員——高pH・還元的・停滞域という、実は #12 のフッ素とよく似た舞台で起きる現象——を扱う。
参考文献
- Hossain, S., Hosono, T., Yang, H., Shimada, J. (2016) Geochemical Processes Controlling Fluoride Enrichment in Groundwater at the Western Part of Kumamoto Area, Japan. Water, Air, & Soil Pollution, 227(10), 385.
- Parkhurst, D.L. & Appelo, C.A.J. (2013) Description of input and examples for PHREEQC version 3. U.S. Geological Survey Techniques and Methods, book 6, chap. A43.
- Appelo, C.A.J. & Postma, D. (2005) Geochemistry, Groundwater and Pollution, 2nd ed. Balkema.
- Schoeller, H. (1967) Qualitative evaluation of groundwater resources. In Methods and Techniques of Groundwater Investigation and Development, UNESCO.
- Edmunds, W.M. & Smedley, P.L. (2013) Fluoride in natural waters. In Essentials of Medical Geology.