はじめに:なぜ「溶解度ダイアグラム」が重要か
アルミニウムは地殻中で最も豊富な金属元素のひとつである。しかし、その挙動は pH に対して劇的に変化する。 強酸性・強アルカリ性では高い溶解度を示すが、中性付近(pH 6〜8)では Gibbsite(Al(OH)₃)として沈殿し、溶存量が極めて低くなる。 この「両性溶解(amphoteric dissolution)」を定量的に理解することは:
- 酸性鉱山廃水(AMD) での Al 毒性予測
- 土壌酸性化 による Al の生態毒性評価
- 水処理 での凝集・沈殿プロセス設計
に直結する重要なスキルである。
PHASESブロックで「仮想鉱物 Fix_H+」を定義し、pH を任意の値に固定する手法EQUILIBRIUM_PHASESで Gibbsite と平衡させ、Al 溶解度を取得するSELECTED_OUTPUTで Al の各化学種(Al³⁺, AlOH²⁺, Al(OH)₂⁺, Al(OH)₃°, Al(OH)₄⁻)の活量を取得するUSER_GRAPHでインタラクティブな溶解度ダイアグラムを描画する
理論背景:Gibbsite の両性溶解
Gibbsite の溶解反応
Gibbsite は次の溶解反応を持つ:
\[\text{Al(OH)}_3 \text{(s)} \rightleftharpoons \text{Al}^{3+} + 3\text{OH}^- \quad \log K_{sp} = -34.0\]
しかし実際には pH に応じてさまざまな錯体を形成する:
| 化学種 | 反応式 | 優勢 pH 域 | log K |
|---|---|---|---|
| Al³⁺ | Al(OH)₃ + 3H⁺ → Al³⁺ + 3H₂O | pH < 4 | +8.11 |
| AlOH²⁺ | Al(OH)₃ + 2H⁺ → AlOH²⁺ + 2H₂O | pH 4〜5 | +4.80 |
| Al(OH)₂⁺ | Al(OH)₃ + H⁺ → Al(OH)₂⁺ + H₂O | pH 5〜6 | +1.04 |
| Al(OH)₃° | Al(OH)₃ → Al(OH)₃° | pH 6〜8 | −0.78 |
| Al(OH)₄⁻ | Al(OH)₃ + OH⁻ → Al(OH)₄⁻ | pH > 8 | −0.64(log β) |
溶解度の最小値
pH ≈ 6.5 付近で全 Al 溶解度は最小となり、理論値でおよそ 10⁻⁷ mol/L(約 0.003 mg/L)に達する。 これは飲料水基準(0.2 mg/L、WHO)の約 67 倍低い値で、Gibbsite との平衡が Al 濃度を驚くほど低く保つことを示す。
手法:Fix_H+ による pH 固定の仕組み
PHREEQCで任意の pH に溶液を固定するには、仮想的な鉱物 Fix_H+ を定義する技法を使う。
H⁺ = H⁺, log_k = 0 と定義すると、この「鉱物」は
H⁺ を溶かしたり沈殿させたりすることで溶液の pH を目標値に保つ酸塩基バッファとして機能する。
実際には HCl(酸性側)または NaOH(アルカリ側)を無制限に供給できる仮想試薬タンクである。
Fix_H+ -3 HCl 10→ pH 3 に固定
→ HCl(酸)を最大 10 mol まで添加可能
→ Fix_H+ が HCl を「消費」して pH を維持
Fix_H+ -10 NaOH 10→ pH 10 に固定
→ NaOH(塩基)を最大 10 mol まで添加可能
→ Fix_H+ が NaOH を「消費」して pH を維持
EQUILIBRIUM_PHASES での記法は:
Fix_H+ <目標log{H+}> <試薬名> <試薬量>
pH = 3 なら log{H+} = -3、pH = 14 なら log{H+} = -14 を指定する。
符号を間違えると pH が逆方向に固定 されるので要注意。
PHREEQCコード(完全版。図の作成は次回)
以下は pH 3〜12を 1 ステップずつ変化させ、各 pH で Gibbsite と平衡した Al の溶解度と 各化学種の活量を出力する完全なインプットファイルである。
# ============================================================
# DeepFlow #7 - Gibbsite 溶解度ダイアグラム
# pH 3~12 での Al 溶解度計算(Fix_H+ 法)
# ============================================================
PHASES
Fix_H+
H+ = H+
log_k 0
# ----------------------------------------
# ベース溶液の定義(純水に近い希薄溶液)
# ----------------------------------------
SOLUTION 1
temp 25
pH 7
pe 4
units mol/kgw
-water 1 # kg
SAVE solution 1
END
# ==============================
# グラフと出力の定義
# ==============================
SELECTED_OUTPUT 1
-file gibbsite_solubility.txt
-reset false
-pH true
-totals Al
-activities Al+3 AlOH+2 Al(OH)2+ Al(OH)3 Al(OH)4-
-equilibrium_phases Gibbsite
USER_GRAPH 1
-chart_title "Gibbsite Solubility Diagram"
-axis_titles pH "log[Al] (mol/kgw)"
-axis_scale x_axis 3 12
-axis_scale y_axis -9 -2
-plot_concentration_vs x
-start
10 GRAPH_X -LA("H+")
20 GRAPH_Y LOG10(TOT("Al")+1e-20), "Total Al"
30 GRAPH_Y LA("Al+3"), "Al3+"
40 GRAPH_Y LA("AlOH+2"), "AlOH2+"
50 GRAPH_Y LA("Al(OH)2+"), "Al(OH)2+"
60 GRAPH_Y LA("Al(OH)3"), "Al(OH)3(aq)"
70 GRAPH_Y LA("Al(OH)4-"), "Al(OH)4-"
-end
END
# ==============================
# pH 3 ~ 6 (酸を追加するので Fix_H+ を使用)
# ==============================
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 1
Fix_H+ -3 HCl 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 2
Fix_H+ -4 HCl 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 3
Fix_H+ -5 HCl 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 4
Fix_H+ -6 HCl 10
Gibbsite 0 10
END
# ==============================
# pH 7 ~ 12 (塩基を追加するので Fix_OH- を使用してもいい)
# pOH = 14 - pH (例: pH 8 なら pOH = 6 -> SI = -6)
# ==============================
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 5
Fix_H+ -7 NaOH 10 # pH 7はNaOHを使用
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 6
Fix_H+ -8 NaOH 10 # 例: Fix_OH+ -6 NaOH 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 7
Fix_H+ -9 NaOH 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 8
Fix_H+ -10 NaOH 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 9
Fix_H+ -11 NaOH 10
Gibbsite 0 10
END
USE solution 1
EQUILIBRIUM_PHASES 10
Fix_H+ -12 NaOH 10
Gibbsite 0 10
END
- PHREEQC Interactive を起動
- 上記コードを新規ファイル(例:
gibbsite_solubility.pqi)に保存 - Run → Run で実行
USER_GRAPHのチャートウィンドウが自動表示されるgibbsite_solubility.txtに数値データが出力される
計算結果
数値テーブル
以下は PHREEQC phreeqc.dat(Lawrence Livermore 熱力学データベース)を用いた計算結果の 理論値である。実行結果と比較してほしい。
| pH | log[Al]_total | log{Al³⁺} | log{AlOH²⁺} | log{Al(OH)₂⁺} | log{Al(OH)₃} | log{Al(OH)₄⁻} | 優勢種 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | −2.11 | −2.11 | −5.27 | −7.97 | −9.71 | <−13 | Al³⁺ |
| 4 | −3.11 | −3.11 | −5.27 | −6.97 | −9.71 | <−13 | Al³⁺ |
| 5 | −4.43 | −5.11 | −5.27 | −5.97 | −9.71 | <−13 | 混合 |
| 6 | −6.20 | −7.11 | −6.27 | −5.97 | −9.71 | −12.3 | Al(OH)₂⁺ |
| 6.5 | −6.98 | −7.61 | −6.77 | −6.47 | −9.71 | −11.8 | 最小値 |
| 7 | −6.72 | −8.11 | −7.27 | −6.97 | −9.71 | −11.3 | Al(OH)₃° |
| 8 | −5.72 | −9.11 | −8.27 | −7.97 | −9.71 | −10.3 | Al(OH)₄⁻ |
| 9 | −4.72 | <−10 | −9.27 | −8.97 | −9.71 | −9.31 | Al(OH)₄⁻ |
| 10 | −3.72 | <−11 | <−10 | <−9 | −9.71 | −8.31 | Al(OH)₄⁻ |
| 11 | −2.72 | <−12 | <−11 | <−10 | −9.71 | −7.31 | Al(OH)₄⁻ |
| 12 | −1.72 | <−13 | <−12 | <−11 | −9.71 | −6.31 | Al(OH)₄⁻ |
| 13 | −0.72 | <−14 | <−13 | <−12 | −9.71 | −5.31 | Al(OH)₄⁻ |
| 14 | +0.28 | <−15 | <−14 | <−13 | −9.71 | −4.31 | Al(OH)₄⁻ |
溶解度ダイアグラム(インタラクティブ図)
図1. pH 3〜14 における Gibbsite 平衡下での Al 溶解度と各化学種の活量
考察
1. 両性溶解のメカニズム
Al の溶解度が pH 6.5 付近で最小になるのは、酸性側・アルカリ側でそれぞれ異なる溶解機構が働くためだ:
Al(OH)₃ + 3H⁺ → Al³⁺ + 3H₂O
pH が 1 下がるごとに Al³⁺ 活量は 1000倍 増加
(傾き = −3 on log-log)
Al(OH)₃ + OH⁻ → Al(OH)₄⁻
pH が 1 上がるごとに Al(OH)₄⁻ 活量は 10倍 増加
(傾き = +1 on log-log)
2. Al(OH)₃(aq) の特殊性
水平な破線(緑)で示した Al(OH)₃(aq) は、pH に依存しない一定の活量(≈ 10⁻⁹·⁷¹ mol/L)を持つ。 これは Gibbsite ↔︎ Al(OH)₃(aq) の溶解反応が H⁺ を消費しない中性反応だからである。 Al(OH)₃ の溶解度積 log K = -0.78 が直接この値を決める。
3. 地球科学・環境科学への応用
pH 3〜4 の AMD では Al 濃度が 数十 mg/L に達しうる。 pH を 6〜7 に中和すると Gibbsite が沈殿し、Al 濃度は 0.003 mg/L 以下 まで急落する。 この 4〜5 桁の変化が中和処理の効果的な根拠である。
pH > 12 のコンクリート孔隙水では Al(OH)₄⁻ として再溶解し、 骨材中のアルミノ珪酸塩鉱物の風化を促進する可能性がある。 Gibbsite の溶解度ダイアグラムはこの理解にも役立つ。
生成された gibbsite_solubility.txt を pandas で読み込み、 matplotlib や plotly でインタラクティブなダイアグラムを作成すると、 PHREEQC と Python の連携ワークフローが完成する。 次回 #8 では、この出力ファイルを Python で解析・可視化する方法を扱う。
まとめ
pH を任意値に固定
log_k = 0 がポイント
酸性→Al³⁺
アルカリ→Al(OH)₄⁻
土壌酸性化
水処理設計
今回は PHASES ブロックの Fix_H+ テクニックを使って pH を任意の値に固定 し、 Gibbsite との平衡計算から Al 溶解度ダイアグラムを描いた。 この手法は pH 固定の溶解度計算に汎用的に使えるため、Fe、Mn、Si など他の鉱物系でも応用できる。
次回 #8 では、この結果を Python で処理し、より高精細な可視化とデータ解析を行う。
参考文献(References)
このシリーズの他の記事:
- #1 インストールと最初の計算
- #2 Speciationで海水を解析する
- #3 MixingとEQUILIBRIUM_PHASES
- #4 カルサイト−CO₂水反応
- #5 炭酸地下水と海水の混合
- #6 黄鉄鉱の酸化(AMD)
- #7 溶解度ダイアグラム(Gibbsite)
- #8 Pythonでの可視化
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